ユーリ!!! on ICE、間違いなく傑作フィギュアスケートアニメで、めちゃめちゃ面白かったのですが

物語が進むほどに主人公・勝生勇利のモノローグの信用ならなさに目を剥くようになり、最後にユリオの述懐が種明かしのように投下されて、なんなんだユウリカツキー!!と爆発して砕け散った視聴者も私以外にもたくさんいたことでしょう。


そんな勝生選手の異常さを、そのスケーターとしての成績から非常によく分析された記事がありました。

勝生勇利の昨年までの成績を真面目に検証してみた。
http://privatter.net/p/2094328

雑魚キャラ主人公のもとにいきなり王子様が現れて引っ張り上げてくれてラッキー♪なシンデレラストーリーかと思ってさんざんイライラさせられた視聴者が、狐につままれたような気持ちになるこの事実。

だってそりゃグランプリファイナル6位ってさ。最下位とはいえ世界各国から戦い抜いてきて最後に残った6人に入ってるんだもん。なんで初回そんなに自分が他の選手の目にも止まってない、名前も覚えられてない、みたいな自意識なのよ。

選手としての才能や実力がもともとすごいというのもあるけど、そこまで勝ち上がるアスリートの努力ってハンパなものじゃないと思うし、この人ヴィクトルに出会う前にもうすでにちゃんとやるべきことやって、しっかり上がってきた人なんじゃん、というのが一番衝撃で。

なんなんだその、自己イメージのめちゃくちゃな歪みっぷりは。

そこで私の頭にふと浮かんできた言葉が「子豚ちゃんの呪い」。

ヴィクトルは、勇利を「子豚ちゃんから王子様に変身」させようとして指導しているんですよね。そもそも勇利は、本当は王子様なのに自分を子豚ちゃんだと思い込む呪いにかかっているんじゃないかって。

子豚ちゃんで思い当たるのは、勇利の両親。いかにも穏やかで優しい人たち。営んでいるのは人々を癒す「ゆ~とぴあ」。彼らはきっと本当にいい人たちなんだろうと思うけれど、息子が世界大会出場までする選手になっても、いまだにあまりフィギュアスケートのルールを理解していない。

勇利の母が、スランプに陥りボロ負けして里帰りした息子に「やっと帰ってきてくれた」と言うのを聞いた時、私はなぜか、カツカツの生活でもなんとか一人で暮らしている私に親が「帰ってきてもいいんだよ」と言ってきて、それが全く嬉しくなかったことを思い出した。

おそらく勇利の両親は、勝つことにあまり興味がない。きっと彼ら自身の人生が、人と競い合うことを喜ばず、どんな人とも仲良く平和に過ごせる空間「ゆ~とぴあ」を作ることに尽力してきた人生だと思う。

スポーツにおいて勝ちたい、一番になりたい、という気持ちはけして人間の平和を乱すこととは違うけれど、勇利がその気持ちを両親の前で表現することは、かなり勇気がいることだったかもしれない。

けれど勝生勇利の本質はアスリート。本当は誰よりも勝利を熱望している。

衣装を着てメガネを外し氷上に立つ時の勝生勇利は、まるで別人のような容姿になる。育った環境の中で着込んでしまった「子豚ちゃん」の着ぐるみを脱げるのはこの時だけ。

しかし、染み付いた「子豚ちゃん」の心がその闘志を邪魔する。望んだ勝利があと一歩先に見えた瞬間、「お前なんかにそれはふさわしくない」と囁く声に脅え、崩れてしまうことが、これまでも何度もあったんだろう。

ヴィクトルはそんな勇利に最初から「グランプリファイナルで優勝させる」と断言する。それは勇利がずっと出したくて出せなかった声だっただろう。

気持ちは誰にも見つけられなければなかったことになっていく。けれど、ヴィクトルは勇利がそれを言う前に、その気持ちを見つけてくれた唯一無二の存在。だから「ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい」し、「僕が勝つって僕以上に信じてよ」という言葉になるんだろう。

本当は勇利自身、「自分は勝利を掴む人間だ」「自分ならもっと上へ行ける」と心の底で信じている。けれど、その勝利への欲望は蓋をしなければいけない醜いものだという刷り込みがもしあったならば、それを言葉にすることも実現することも難しい。

ヴィクトルは勇利の奥底に眠る気持ちを引き出す人であり、勇利の心を代弁する分身ような存在でもあるかもしれない。ユーリ!!! on ICEの3つの「!」の一つはやはり勇利の分身としてのヴィクトルだろうか。

ヴィクトルは勇利を、温かく閉塞的な親元から、インナーマザーの支配から解き放つ者でもあったから、勇利とヴィクトルの間には、あの結婚のような儀式が必要だったのかもしれない。
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キンキーブーツ観てきたよ〜〜うおおお〜〜ヽ(;▽;)ノ

ドラァグクイーンのローラと出会い、ドラァグクイーン専用のブーツを作ることになる潰れそうな靴屋の跡取りチャーリーと、靴工場で働く人々の物語。

メインテーマとしては当然、ドラァグクイーンというマイノリティであるローラの存在を、みんながどう受け止め、差別を乗り越え成長していくかというドラマが描かれる。

けれど、それだけではないメッセージがこの物語の骨太な魅力になっている。
「男らしさとは何か?」という投げかけ。
男性が「男らしさ」として誇るもの、誇ろうとして手に入れようともがくものは、実は女性は全然求めていない肥大したプライドだったりする。

ドンのような男性は、ローラのような存在を嫌い、下に見ようとする。ローラが誇り高くあること、ローラが人から受け入れられることは、ドンが自分自身の価値だと思ってきたものを破壊するからだ。
そんなドンにローラが与える課題は、「あるがままの他人を受け入れること」。ドンは混乱して「どういう意味だ?」「それだけやればいいのか?」「誰に対して?(すべての人、とローラは答える)」と問う。書いてあるそのままの意味が、「男のプライド」にこだわって生きてきたドンにはすぐには理解できない。

靴屋の跡取りチャーリーは、基本的にとても優しい男だと思う。
腕力に自信があるようにはとても見えないのに、柄の悪い輩に絡まれている女性(だと思ったローラ)を助けようと間に入る。ローラの子どもの頃の話を聞き、父親への思いに共感し仲間になる。
そんなチャーリーにも、誰にも認められずくすぶっている「男のプライド」がある。社長の息子で優男で、自分の実力や才能を見てくれる人がいない中で、なんとか自分なりの道を見つけようともがいていた。しかしくすぶっていたチャーリーのわずかなプライドが、彼本来の優しさを妨げる。
このチャーリーの、本来の優しさと、プライドこじらせ具合のバランスを、小池徹平は表情や仕草で見事に表現していて、さすが憑依型俳優!という演技だった。

人が誰かに対して差別的な言動をする時、その言葉をぶつけた相手への偏見以上に、自分自身に対する自信のなさや、人と自分を比べてしまうこと、自分を大きく見せようとすることが起因しているのではないかと思う。

けれど、そんな間違いすらも受け入れて、もう一度大切なことを思い出し立ち上がる勇気を与えるのは、靴工場の人々、ローラ、エンジェルズといった仲間たち。
「仲間が支えてくれる」というのも、この芝居のひとつのテーマかもしれない。

落ちてても Let me raise you up
萎んでも Let me raise you up
錆びてても 引き上げて あげる

そう言ってくれる仲間を作ること、それがキンキーブーツが伝える、人生をより良く生きるコツのようなものかもと思う。

ローラ役の三浦春馬は若手ながら貫禄あるドラァグクイーンに成り切っていて、的確に人物を表現する小池徹平、キュートで芸達者なソニン、その他脇を固めるのも役者も実力派揃いで、最高にハッピーな空間を魅せてくれる。

ただ、訳詞が森雪之丞で、この人の作詞は私はとても好きなんだけれど、歌謡曲をずっとやっていた人だからか韻を踏んだり英語っぽい響きにしている歌詞が多くて、芝居の中だとどうしても聴きとるのが難しかったのがちょっともったいなかった。
せっかく重要そうなメッセージを歌っているところで聴き取れないのはけっこう悲しい。その分全曲の詞をパンフに載っけてくれてるのはありがたいけど!

しかし何より涙が止まらなかったのはラスト。観客も含めてお祭りだった!
観客の中にはセクシャルマイノリティのことを、何となく耳にはするけどよく知らないという人も、きっとたくさんいたと思う。だけどラストのあの雰囲気は、まるでプライドパレードのようで、いろんな意識レベルの人と一緒にパレードが出来ているような感覚に、号泣した。

こんな素晴らしいことが、これから日本でどんどん起こっていくといいな。ミュージカルはきっとそんなチャンスを与えてくれる場だと思う。そう思わせてくれたミュージカルだった。
ミュージカル『1789 バスティーユの恋人たち』
・小池ロナン×ねねオランプ×凰稀マリー
・小池ロナン×さやかオランプ×花總マリー
・加藤ロナン×さやかオランプ×凰稀マリー
の組み合わせで観てきました。

まず、フランス発のミュージカルなので、日本人が書いた「フランス革命」からはあまり感じてこなかったことが所々にあったなあ、と。

今まで教科書などで読んでいたフランス革命では、民衆が武装蜂起したことの方が印象に残っている。しかし、今回の舞台ではその前に「虐殺」という言葉が数回はっきりと示されている。視覚的にも、丸腰の市民たちを複数の軍人が銃で狙うシーンが繰り返される。
そうか、この歴史が「フランス革命」という言葉で残っているのは、市民が武器を取り立ち上がったからなのだ、と。そうしなければこの歴史は、フランス軍による市民虐殺事件として名を残していたのかもしれないんだ、と思った。
しかし暴力はさらなる暴力を生み、ロベスピエールは政敵やかつての仲間までも次々とギロチン送りにする独裁者となっていくという、次の歴史もある。互いに殺しあう戦いはやはり悲惨なものだとは思う。
それでも、決して屈しない、どんなに大きな権力が攻撃してきても、自分が虐げられて良いとは絶対に思っていないフランス市民の力強い姿には、感動せずにはいられない。この精神性は少なくとも現代の日本人にはかなり乏しいと思う。

小池ロナン版では、冒頭のシーンでもすでに「そうか!これがフランスの人たちの強さか!農村の人々でもこんなに誇り高い!」と思ったのだけれど、加藤ロナン版では冒頭シーンがすごくあっさりしててちょっと驚いた。
それは2人の演技プランの違いによるもので、どちらが良いかは人によって好みが分かれると思う。2人のロナンは、驚くほどに全く別の人物に仕上がっていた。
歴史ものという性格もあって行間の多い物語だから、演技によって人物像が大きく左右されるのだろうけれど、ここまで違うロナンをダブルキャストでそれぞれに作り上げた2人の役者は、本当にすごいと思う。この2者を見比べられたこと自体が、とてもエキサイティングな演劇体験だった。

加藤ロナンは、ロベスピエールたちと出会った当初からしばらくは、彼らから聞いた自由、平等、権利といった言葉をそのまま、覚えたての言葉を使いたがる子どものように話している。彼がその意味を、本当に自分の実感の中で理解するのは、一幕の終わりだと思う。

一方小池ロナンは、ロベスピエールたちから自由と平等、人の権利について聞かされた時、きっと「それは自分が元々知っていたものだ」と感じただろう。
哲学とは「人間がどう生きるべきか」という学問だと聞いた時、彼は「それならあんたたちインテリよりも俺の方が知っているかもしれないぜ」と答える。加藤ロナンはこれを、気の良さそうな素朴な調子で話す。
小池ロナンの場合、この言葉に、彼が農村で作物や家畜を育て、村の人々や家族と助け合い、貧しさや自然の困難を乗り越える中で学んできたことに強い誇りを持っている、確信を持って「人間がどう生きるべきか知っている」と話している、と感じさせる。
小池ロナンはロベスピエールたちと初めて会った次のシーンでは、すでに権利も自由も平等も、自分の言葉にしている。彼は元々それを農村の暮らしの中で知っていた。そこに明確な言葉が与えられた瞬間は、きっとヘレンケラーが「水」を理解した瞬間のような衝撃と感動があったに違いない。

きっと革命に身を投じた貧しい平民たちの中には、加藤ロナンのような青年も、小池ロナンのような青年もいただろう。どちらの立場から描かれることも意味があると思う。
しかし、小池徹平でなかったら、農村に暮らす学問を知らない貧しい人々の中に確固たる哲学があることを、ここまで明確に示してくれただろうか…と思うと私は涙が出る。

現代の政治や運動に置き換えても、どうしても中心は、学ぶことのできる環境にあったインテリ層が多くなってしまうという問題はある。
反差別、反貧困を叫んでも、その真ん中にいる人たちの偏りは否めない。本当に貧しく、学ぶことのできない環境にあった人がその中心にいることは少ない。
私自身、その問題を丁寧に扱うことができず、後から指摘されて後悔した苦い経験がある。
だから、ロナンがロベスピエールたちを責めるシーンは自分自身にも鋭く刺さる。

二幕の初め、ダントンが皆に「シトワイヤン(市民)!」と呼びかけるシーンで、なぜか私は一瞬、自分にも呼びかけられたように錯覚して、はっとしたのだった。
『ぼくだけが知っている』のいくつかのシーンや言葉は、日常の中でもふと思い出されることがよくある。

ひとりよがりな想いの押しつけについて考える時は、「プレゼントぼーりょく」という言葉が浮かぶ。
街路樹のイルミネーションを見ると「ちくちくする」と思ってしまう。
友達との関係について考える時には、らいちがいじめっ子に対抗するために少しえげつない脅しの手段を使って、その立会人となった今林くんが言ったことを思い出す。いじめ撃退には成功したけれど割り切れない気持ちになるらいちに、今林くんは、この役目を僕に頼んでくれてかなりうれしかったんだよ、と伝えるのだ。
そして吉野朔実先生の訃報を聞いて、自分でもよくわからない感傷に襲われている中で、らいちたちがかつてのクラスメイトが病気で死んでしまったという知らせを聞いて、現実感のない訃報の受け止め方に迷う回を思い出した。

吉野朔実作品は、『少年は荒野をめざす』も『月下の一群』も衝撃的だったけれど、『ぼくだけが知っている』は不思議なほど私の日常に染みついていて、私が思い入れの一作を選ぶならば、やはりこれなんだろうな、と思う。

吉野朔実作品は、怖い、とずっと思っていた。
『月下の一群』は読んだ時とくに怖かった記憶がある。気付かずに読めば、単なる繊細な男女の群像劇に読めてしまう中に、できれば向き合いたくないもの、自分の中にあるもの、人と人の関係の中にある怖いものを突き付けられるような感覚があった。
それは最初期からずっと、漫画家としてのキャリアを重ね年齢を重ねても、追及の手を緩めることなく、吉野朔実の漫画はさらにダイレクトに怖くあり続けたように思う。
まるで少女のような、人間への厳しさ、人間の体と心を持っている自分への厳しさを抱き続けた人、という印象がある。

私が吉野朔実作品をかじりつくように読んでいたのは十年ほど前の大学生の頃。完全な後追い世代だ。
最近の作品は、あまり読んでいなかった。自分自身が大人になっていくにつれて、その少女のような高潔さや激しさについていけなくなったのかもしれない。

でも、そんな作品を描く人だったからかもしれない。
訃報を聞いた時、ああいう作品を描く人が若くして亡くなってしまうのは、本当につらい、悲しい、と感じた。
直接の知人でない著名人の訃報を聞いて、こんなにすぐに「悲しい!」という言葉が降りてきたのは初めてだった。
「ご病気のため4月20日にご逝去されました」というたった一文で、2週間後の今になってあっけなく告げられたその死の表象は、まるで吉野作品そのもののようで、潔く、悲しかった。

天国で安らかにいられることをお祈りする気持ちは、心からのものだけれど、同時に、死後の世界があるのならばそこでも少女のように厳しいままでいてほしい、と願ってしまう自分がいる。
こんな気持ちの押しつけも、プレゼントぼーりょくだろうか?

あなたの作品を愛しています、とだけお伝えしたい。

  

観ると必ずオザキ8されると話題の映画「X-ミッション」、観てしまいました。
観終わってすぐは、いや~私はそんなにハマらなかったなあ、と思ったんですよ。
ところどころツッコミ入れたくなったし、おかしいと思ったし、そんなにオザキ8されなかったよ、と。

でも1日経って、ふと。
いやツッコミ入れたいと思ったところは確かにおかしかったけど、まずもっと前提の部分がおかしかったから…!基本的なベースがまず色々…!
ということにやっと気付き、私もまんまとオザキ8されていたということが判明してきました。

まずこの映画、エクストリーム・スポーツというやつが話の軸になっています。
エクストリーム・スポーツってあれです。ものすごい高い崖をバイクとか自転車で走ったり、わざわざ落ちたら死ぬよっていうところで死ぬような危ないことをやってのけるっていう、時々「世界のビックリ映像」の番組とかでやってるやつです。
だいたいああいう映像を見る時、我々凡人は
「なんでわざわざ危ないことするのかわからない~死ぬよ~やめなよ~」
っていう気持ちになるものですよね。

なぜ彼らはそれでも挑戦するのか。それはオザキ8のためだったのです。オザキ8、それは自然と一体になるための8つの修練である。

はい、↑これが映画の全編を通してすべての基本となっています。
細かいところにツッコミ入れたらキリがないような映画なんですが、この前提に対してツッコミを入れることを、ある時点から忘れます。そうなればあなたももうオザキ8の手の内です。

死ぬよ~っていうチャレンジをするのがオザキ8なので、けっこう人が死ぬんですが、なんか別にチャレンジをしてる時じゃない時もけっこう死にます。
最初のうちはエクストリーム・スポーツをやってて死ぬことの方が「いらんことやって死んだ!」と思うのに、いつの間にかエクストリーム・スポーツじゃない時に死ぬ方が、「え、このいらないシーンで死ぬん…?」って思えてくるからもうすでにオザキ8されてます。

ちなみにオザキ8という修練は、オノ・オザキという日本人が仏教思想に基づいて提唱したらしいのですが、オノ・オザキはどっちが苗字かわからないこの名前の時点で笑わせてきますけど、死に方で2回笑わせてきます。
人は1回しか死ねないのに、死に方で2回笑わせられるなんてオノ・オザキくらいなものです。さすが自然への敬意が違います。

あと自然と一体になるとか、自然への返礼をするとかめっちゃ言うわりに、あんまり環境に良いことをやってる感じもしないです。
自然への返礼もそこまで環境保護のために良いことなのかよくわかんない感じで終わります。
エコでロハスな感じのシーンよりパリピがズンチャズンチャ踊ってるシーンの方が多いです。

後半はえっそんな展開?そんな展開!?あれれれ~!?ってなるんですけど、その前にそもそもの前提が何言ってるのか私理解してなかったんだった…っていうことに気づくのに、私は1日かかりました。

そんな感じで、私これ正直、別に観なくてもいい映画だと思います。
良い映画はいっぱいありますよ。他の映画をもっと観ましょう。
でも一度観てしまったら、絶対もう一回なんらかの形で観ようと思っている自分がいることが怖いです。できればレンタルビデオで友達と一緒に観たいですね。
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