告白 (2008/08/05) 湊 かなえ 商品詳細を見る |
一気に読んで、「いったいなんだったんだろう」と呆然とする。
何人かの人物が語る「告白」の物語は、それぞれが互いの価値観を否定し合い、読者は最後の最後まで試される。自分のスタンスを見つけられなければ読後は不快感だけが残るだろう。
むしろこの小説において、本当の読書は読後に始まると言っていいのではないか。「それ」が「いったいなんだったのか」思い巡らすことから……
しかしちょっと危険な本だと思う。読者が登場人物のあやういモノローグに巻き込まれる可能性を考えると、手放しにおすすめとはいえない。
面白いし、すごい才能なのは事実なんだけど…
★以下だいたんなネタバレ★
~、ひどい話だあ…。
すべての歯車が最悪の結末を目指したというか。
「やさしさ」なんていうと陳腐な感じだけれど、人間が最低限人間らしく生きるためのものってやっぱり他人との関係の中にある。
森口は、修哉の母親への執着を「馬鹿ですか」と切り捨てる。確かにそんなことで自分の罪を正当化するのは愚かな甘え、自己陶酔、つまり彼の弱さだ。
しかしそれは森口の復讐だって同じことじゃないか?
彼らを自らの手で罰したところでそれは単に彼女の思いが遂げられるというだけで、結局は自己満足だ。むしろ、満足すら残らないかもしれない。彼女のしたことはけして許されることではない。そこに彼女の愚かさ、つまり弱さも見えるんでは。
…しかし恐ろしいほど冷静な森口が、本当にその矛盾に気づかなかったんだろうか。
気づいていながら、巧妙に言葉を選び、修哉を追いつめたんじゃないか?
中学生という年齢が、こちらが対等に扱えば対等な判断力で答えてくる相手だと認めている教師だったからこそ、そうやって冷静に対等な復讐を果たしたわけだ…。
森口は自分の弱さには目を瞑り、修哉の弱さに対して攻撃する。
修哉自身も、他人の弱さに対しては冷たい。美月の自己陶酔的な妄想を「馬鹿じゃねえの?」と軽蔑し、怒った美月が修哉の母親への思いを「マザコン」と言い返すと逆上して殺してしまう。
直樹に対しても、彼の持つ怒りや苛立ちは自分のものとは比べ物にならない低レベルなもののように扱い、馬鹿にする。
しかし、直樹の弱さを攻撃していたのは修哉だけではない。直樹はずっと母親によって、彼自身の弱点を「あるはずのないもの」とされ否定され続けていた。
「弱さの否認」も「弱さへの攻撃」と同じではないだろうか。
直樹の犯した罪を「否認」し続けていた母親は、真実を知ったとき、「上手に育ててあげられなくて、失敗して、ごめんね」と心中を図る。直樹はその瞬間に「失敗作」にされてしまう。
他人から見れば欠点でしかなくても、それはその人を形作っている、その人の一部。どんなに愚かな自己陶酔に見えても、本人にとってはそれしかよりかかるところがないような、大切なものかもしれない。
この物語は、“弱さへの否認と攻撃の連鎖”に収束するのではないか。誰1人として、他人の弱さと自分の弱さの間に連帯を見出し助け合うような、そんなつながり方は、出来なかった。
ところで、なぜ森口は修哉にわざわざ電話したのか?
復讐だけのためなら、電話は必要なかったんじゃないか?
もしあれが無くて、修哉の作った爆弾がいつの間にか移動して、自分の母親を殺してしまった…ってなったら…むしろそのほうが、彼の混乱と苦しみは大きいんじゃないか?
「告白」の物語ゆえにそうさせるしかなかったとも取れるかもしれないけど……森口も、復讐の鬼になりきることはできなかったんじゃないだろうか。
きっと彼女はこれから、静けさとは程遠い、苦しみの中にさまよい生きることになるんじゃないか。それだけが救いとも言えるのだけれど。
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