殉死 殉死
司馬 遼太郎 (1978/09)
文藝春秋

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司馬遼太郎の『殉死』。乃木希典のことを書いた本です。

司馬遼太郎の乃木像は、頑な・純心・愚昧といったところですか。
読んでいて思い出したのは、ゴッホ。
思えばゴッホも牧師の方で成功してれば、時々その純粋な行動で感動はされども決して感謝はされないような牧師になっていたかも。
それでも本人は満足だったかもしれないね。自己完結の人間だから。

↑というのがまんま乃木な感じ……だと私は解釈しました。
漢詩の才能があったというのだから、もし何か一歩違っていれば、もしかしてもしかしたら、だと思わない…かな…。歴史にもしもはないしね……しかしたぶん乃木氏はこの人生で満足だったような気がする。自己完結して。

しかしこの人物のすごいところは、周りの人間がみんな「こいつは馬鹿だ」と思ってるにもかかわらず、愛されてるってところだ。
時には本気でその行動の潔さに感動している。それも彼の愚かさは認めたうえで。

実は個人的な知り合いで、もう1人、連想的に思い出す人物がいる。
頑なで、純心かもしれないけれど、どうしようもなく愚かだったと記憶している人物。彼は正義の人だった。自分で正義と決めたこと以外は全て排除する。絶対に考えは曲げない。
この点は、乃木も一緒だと思う。
しかし、彼は愛されていなかったように思う。空回りする純粋な思いに、みな呆れ果て、頭を抱え、怒りを覚えるだけだった。
乃木と彼のどこが違うのか……。

よく考えてみると、乃木の場合、自分の理想と合わない事態に遭遇すると、自分の鍛錬のたりないせいだと、黙ってさらに求道に没頭する。
彼の場合は、怒鳴り散らしていた。自分の考える「正義」や「理想」と合わない現実に。むしろ、その「正義」やらそれ自体が矛盾してしまったときにも。
それは、乃木の方が人の怒りを買わないということもあるけれど、それだけではない気がする。
黙って自分に次々と責苦を架していくその姿に、一種の美しさがあるのだ。特に日本人が弱いタイプの、哀れさと隣り合わせの美である。
それを乃木は、実はパフォーマンス的にやっているのだが、そのことに本人が気付いていないので、どこまでも意図的な打算のない、純心さだけで追い求められる。
……まあ中学生みたいなものだなあ。(笑)

しかしその美点だけで、明治帝にとにかく愛され、児玉源太郎のような現実主義の戦略の天才からも、その友情は失われることがなかったのだから、やっぱりちょっとすごい人物だと思う。

人間って、どんなに浅はかでも、しょうもないやつでも、どこか一つの美点だけで愛されるということがあるのかもしれない。
まあたしかに人間ってものは、そのくらい色んなパターンがあって、面白くていいはずだ。

しかしね、1つ思い出したのは、愛することをちゃんとやっている人物は、愛されるのかもしれないね。
愛情深さについては乃木氏は歴史に残るからね……


まあ若い私にゃあまだ人生の教訓は遠くかなたにぼんやりと浮かぶのみですよ。
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