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初見です。
hy4_4yhとかいて「ハイパーヨーヨ」だそうで。4がつくのに3人なのは、脱退等諸事情のよう。よくあるよくある。

けっこう完成度高いですよ。
歌も踊りも悪くないし、盛り上げ方もわかってる。
2人ものメンバーが、すごい鼻にかかったアニメ声なのも個性的でよろしい。

しかし……難しい……

というのは、

1、2曲目
ギャグ路線な感じ。音はけっこう電子音?歌詞かわいくない…
3曲目
ジュディマリっぽいギターポップ(たぶんカバー?)完成度高かったです。
4曲目
なんか水樹奈々みたいなアニソンぽい曲。客席はヲタ芸で盛り上がる。
5曲目
音は電子音もあるけど、わりに曲はまたジュディマリ系っぽい。これが代表曲らしい。
おまけの「石丸電気の歌」

……方向性がまったくわからない……
ちなみに服装は黒のちびT+チェックのフリルミニスカ+ごついベルト、と、ロック系でした。


で、こっからは私が勝手に考えた、「こうしたら売れるんじゃねえの」

生かす要素としては、
・ギャグ路線 ・「ジュディマリ系」ギターポップ ・鼻にかかった声
さらに加えたいのは、
・ギャグっぽい、かつ可愛い歌詞が書ける作詞家

プロデューサーのエザキマサルさんという方が作詞作曲手がけているそうですが、彼には作詞のみ退いていただいたほうが良いかと(笑);

全体的にはどうするかっていうと、
「音はギターポップで、歌詞はちょっとギャグ入った感じ(しかし可愛く)、そしてセリフパートを多くとる」
…こういう曲を芯において、ちょいちょい脱線しつつやってくとか。
歌っちゃうと声の面白さが消えちゃうのがもったいないんだよねー。
もうセリフだらけの曲でもいいんじゃないかと思います。


まー、やんや言うてますが、2度は見にいかないかもしんない。
ワンマンとかで見るのはキツイかな。。。
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仕事で、栗田隆子さんと話すことが叶った。
一度講演を聴いてから、これは面白いと思い、いろいろと書いてるものも読んだりしてたんだけれど、本当にすごく「わたし」や「わたしの周り」の感覚に直接うったえることを書いている。

フリーターズフリー
栗田さんHP

で、話した内容については仕事の内容だしあんまり書けないけど、栗田さんやフリーターズフリーを通して最近考えた、「働くこと」について。だいぶ自分の中で整理されてきたので、少し書いてみたい。


●「生きていけない」の重さ
当然のことながら、「生きていけない」ってとんでもないことだ。生きていけないなら死ぬしかないんだから。
では、安定して「生きていける」状態が保たれているとは具体的にどういうことかと考える。

・やっぱり最低でも4畳半程度の、自分の所有する部屋は必要。家なしじゃ生存が安定してるとはいえない。
・そうすると、その部屋を維持しつつ、食や健康を保つに十分な収入が必要。十数万はライフラインや税金で差し引かれると考えて、最低でもそれ+5万くらいはないと厳しい。
・そのためには、職に就くことが必要。しかし、この職が崩れれば前2つの条件もドミノ形式に崩れていくのだから、職はある程度安定したものでなければいけない。

おやちょっと待て、と思う。この条件がばっちり揃ってる人、この世の中にどのくらいいるよ?
「いっぱいいるじゃないか」と思う人もいるかもしれない。安定している人は、なぜか安定している人同士で固まってるから。
しかしわたしの周りには、これに満たない人がだいぶいる。べつにそんなに変わったことじゃないから、みんな同情すらしないレベルで。みんなまだ若いから油断してるっていうのもある。
わたし自身だって、やっとそろそろ自分の収入だけで暮らしていけそうなところだけど、今もし両親が急に死んだらもうアウトだと思う。あと1、2カ月は生きてくれないとちょっとまだキビシイ。さらに3月から引っ越す予定の部屋の連帯保証人も親なわけだし。

つまりそういうこと。
わたしの周りの「生存が安定している」に当てはまらない人たちは、どうしてるかっていうと、親元にいるわけです。
そして親元から出るわたしも、連帯保証人としてある程度稼ぎのある親がいないと部屋も借りられないわけです。
最近は保証人不要サービスとかもだいぶ始まってるんで、わたしがいつかあの部屋を出て別のところに越そうというころには、もう少し状況は変わっているかもしれないけれど、実際賃貸契約した実感として、当たり前のように親の保証と年収が審査にかけられる現実があった。
上記の条件にもうひとつ付け加えるなら、
・住む部屋の保証人になってくれる人、それも収入の安定した人がいること。だ。

正味の話、わたしも、わたしの周りの多くの同年代の人たちも、親が死んだらアウトです。やばいです。
子どものうちだったらまだ保障もあるけれど、成人して働いてたら「親が死んだから生きていけなくなりました」なんて言っても生活保護もらえないっすよ。健康な働ける体を持つ人が「仕事がない」とか「稼ぎが少ない」って言ったって。

「今の収入じゃ一人で暮らしていけない」
こんな言い方が「わたしたち」の間で、普通の言葉になってる気がしてコワイ。
「暮らしていけない」ってマジだぞ。でも、そういう人がいっぱいいるのが今の日本なんだと。


●「正社員的な仕事ができない」=「仕事ができない」、なのか?
ていうか「正社員的な仕事」っていうのが、ある種類の仕事に集中しているのが変なんじゃないかと思う。いわゆる「頭脳労働」だとか。
そういう仕事に就けない人は、「能力が低い」か、もしくは「社会不適合」だ。
ていうことは、ある一定以上の仕事の能力や適応能力がなければ、「生存の安定」をえる資格がぼっしゅーと。だって正社員になれないんだもん。
「単純労働」と呼ばれる倉庫内作業だったり、工場のラインだったりは、社会に絶対に必要な仕事なわけなのに、そこで毎日9時-5時でせっせと働いても一人で最低限生きてくだけの収入には全然足りなかったりする。いくら資本主義といったって、能力が人より低かったら最低限も生きていけないって、やばい社会なんじゃないか…? 冴えなくても細々と生きていくことすらできない…
ていうかもっというと、「介護労働」の収入だって上記と同じくらいだったりするわけで。介護の仕事をする人が生きていけない社会ってことは、老人や病人を支える気なんか元々ない社会なんじゃないのか。


●「苦手」や「嫌い」って言ったら社会人失格なのか
「苦手な仕事だけどなんとか頑張ってやってるよ」っていうのも許されない気がする。
ていうか許されてないでしょう。↑こんなこと言ったら「甘えるんじゃない」って言うでしょう。誰かは確実に。
これって、単に「根性論」じゃない気がする。
みんなが右を向いているときに、左を向く人がいることを、異常に恐れる社会がある。そういう抑圧を感じる。
たとえば、仲の良い友達同士や共通の趣味で集まっている楽しいのグループであっても、「ここの人間関係は自分には合わない」「ここになじめない」と思う人は時々いるだろう。しかし、グループの大多数にとっては、「なじめない」と思われることは不快であり、恐怖にも近い。
この恐怖、仕事の現場となるとさらに倍増されている気がする。そういう仕事場は、「自分の頭で考える人」を恐れ、叩き始める。
そういうふうに抑圧されている人を、何人か知っているけど、本人も叩かれる立場の自分が恐れられているとはとても思えないし、「怖い」って思ってるのは自分の方、それ以外はない、とこの人も思っちゃっている。
でも、社会で言われてる「社会人失格」なんて、そのぐらい一部の人に都合よく作られた基準なんじゃないかって最近とても思う。なんてささいな、簡単なことで「社会人失格」にされてしまうんだろうって。
人と一緒に昼ごはんを食べるのが苦手なだけ(出来ないとまで言わなくても)、とか、そんなことで。



今さら気づいたのか、と言われるかもしれないけど、いろいろひっくるめて言うと、
すごく限られた条件のレールがあって、その上に乗れない人は「細々と普通に生きていく」ことすらできないようになっちゃっているんだということ。しかも昔言われた「学歴社会」みたいに、単純にちょっといい学歴があったって今やそう簡単にはこのレールには乗れない。
婚活に必死になる女性がたくさんいるのは、「さびしいから」とか「幸せになりたいから」とかいうことよりも、「このままじゃまともに生きていけなくなるかもしれない」って切実さだと思う。


でも、だからこそ、レールから外れた人生を実践していきたいと私は思ったりするんだよね。
今の社会が、たくさんの人を大変な立場に突き落としてるってことは言わなきゃいけないけど、そこに絶望しかないとは言いたくない。
そういう部分で、栗田さん自身の生き方とかこれからの目標を聞いて、お、やってくれるなあ、と感動したりしたんだけど、そこは今はまだオフレコで(記事に書くから)。
もう一人「外れた人生を実践」してる人っていうと、やっぱりこの人が思い浮かぶ。
いちむらみさこさん。
近いうちに、友達もつれてって会いに行ってみたいと思ってるんですが、アーティストで、本物の野宿生活者で、物々交換カフェを公園で開いている人。
デモや署名で主張を呼びかけるのも大事だけど、自ら別の可能性を実践する、生き方を変えるってことは、もっとダイレクトに社会を変える力があるんじゃないかって、そんな感覚をぐっと受けます。
もちろん本当に路上生活するのはとても危険が伴うことだと思うけど、それでもこの人、ちゃんと人間らしい生活(しかも創造的な)で生きているんだから。


ところで最近注目しているドラマがある。
テレビ朝日『エンゼルバンク~転職代理人』
まー例のごとく、ウエンツ瑛士くんが見たいがために見始めたんですが、核心をつくテーマやセリフがぽんぽん出てきてびっくりです。日本の民法ドラマとは思えない鋭さ。

主人公を雇った凄腕の転職エージェント社長っていう人が、生瀬勝久がやってるんだけど、最初は資本主義の原理にのっとって厳しいことばかり言ってるのかと思いきや、意外にも「アウトサイダーになること」に肯定的だったりする。
むしろこの人、「成功するためにはみんなと逆の方向をむくこと」とかアドバイスするあたり、一度経済の仕組みや会社という社会制度の外に出ることは有利なことだと捉えてるんじゃないか。
そして、このドラマは今の世の中でどんな人がアウトサイダーなのか、というのもちゃんと掴んでいる。転職を目指す人を、1話ごとに1人、主人公が担当していく構成なのだが、その転職希望者が、離婚して子どもと暮らすために再就職したい主婦だったり、30過ぎ独身の一般職OLだったりする。
そのOLが叫ぶのが、「大企業の看板くらいしか私を守ってくれるものはない」っていうんだが、それは単にネームバリューに踊らされてるとかいうことじゃなくて、本当にこの先どうなるかわからないからこその、切実な本音だと思う。しかしそれはインサイドな価値観の中で抑圧されてねじれたものだと思うし、彼女は結局そこから一歩出て最適な職を見つけるわけなんだが。

第一回の視聴率が芳しくなかったと聞くけれど、これは毎回驚かされる秀作だと思っている。10年後には、「テーマが古い」と思って見たいけれど。


最後の最後の余談…

アウトサイダーっていう言葉を出してひとつ思い出したけど、小学校低学年のころ、ものすごく軽い登校拒否をした。たぶん1、2カ月くらいのものだったと思う。
それはつい最近ふいに何のきっかけだか思い出したんだけど、すっかり記憶から抜け落ちていた。
忘れていた理由はたぶん、母親が何ともしなかったから。ずいぶん後になって知ったけど、母は「学校なんて行きたくなければ行かなくていい」という考えらしい。うちの母は、笑い話になるくらい心配性な人なんだけど、そういう大きいところでは妙に楽天的だったりする。直接「休みたいなら休めば」という態度だったのは母なのでそれしか覚えてないけど、父親もとくに何か言うことはなかったし、両親そろって大物だったんだ(笑)。まあ一応、「具合が悪い」という言い訳はしてたんだけど。
何ヶ月か後にわたしは自然と学校に戻ったし、とくにいじめられてたわけじゃなかったと思う。
しかし、その期間は「具合が悪い」設定なわけだから、友達とも遊ばず家に閉じこもって何やってたんだろう?そう考えると、それでも学校に行きたくない何かはあったのかもしれない。ぼんやりしてたから自分でも気づかなかったんだけど。
そのとき、「学校に行かないことはそんなに変なことじゃない」と思ってる親がいたことは、とても大きかったなあ、と今、考えたりする。
こわいのは、インサイドにしがみつく価値観と、その価値観で支配しようとする社会じゃないかな、と。
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