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in東京国立近代美術館。

やばい良かったです。
というか最近の私の精神状態がアレなせいか、見てて涙出そうになってしまった(笑)

以前「絵の見方がわからない」という人に「色と形ですよ。それが全て」と偉そうに語ったことがありますが…
色と形が、線が「これ以外のものはない」という整合性のもとにあること。
それは竹喬という人の場合、「愛でる」ことによって為されているんじゃないかなあ、と思った。
雲のありようの、海のありようの、枝ぶりの先の先まで、愛でている。
そうやって生まれた線は命を持って語りかけてくる。

ただ上半分に桃色の空があって、下半分に群青の海がある絵が好きだったな。
あと、女の子が一人佇んでいる絵を見てまるで自分のようだと考えてしまって、ふと回りを見ると、同じくらいの歳の女性たちが。きっと彼女らも自分のようだと思ったんじゃないだろうか。


そんな感じで画集も買っちゃったりなんかしながら竹喬展の会場を出ると、手には常設展のチケット。
どうしようかな~ここの常設すごくいいんだけど疲れるのやだな~と悩んだ末…ざっと流して見よう、と。

でもこの「流して見よう」が意外とよかった。
まあ何度か見たこともあったし。
今まで現代アートのやつとかで「こういうのはよくわかんないからスルー」と思ってたやつも、今回はいわば「全部スルー」状態なので、いっしょくたになったというか。いい絵にしろわかんない絵にしろ、みんなそれぞれ頭の中に、いろんな風景があるんだな、と思うと楽しい。


(mixiより転載)
↑誘導やめた…あんまり意味なさそうなので。
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この間JLMMという団体の話を聞いてきたんですが。
途上国にボランティアを派遣している団体ではあるけれど、その立場が「信徒宣教者」といって、宣教というミッションを担って行っている。
といっても教会のあるところにいって、その共同体の中で福祉やら開発支援するみたいですが。
まあその賛否はいろいろ。


その中で、「コミュニティー・共同体」って大事だねっていう話になって。
帰国した派遣者の女の子の一人に、「今一番何がほしい?」って事務局の人が聞いたら、「コミュニティーがほしい」と言ったそうです。

ああ、それだ!という感じ。

浪人生の頃、家族がいても、友達と時々会ったりしても、どうしても孤独だったのは、私は「コミュニティー」に飢えてたんだな、と。
ネットの詩投稿サイトとサンボマスターBBSでなんとかつないでたけど、なんだかすごい渇きを感じてた気がする。そのときは「ストレス」と呼んでいたけど。

今は、これなんだろう?
不思議なことに、あんまりしょっちゅう会ってるわけでもないのに、大学の頃の何人かのつながりが、いまだにコミュニティーだという実感があるんだよね。
あと、最近JOCのつながりもできたし。あそこが「自分の共同体だ」と思える場所になってくといいな。
でも、一人で部屋にいるときなんかさびしくてmixiばっかり何もないのに見てるときもけっこうある。今は、さびしさと向き合うことも、やっと自分が自分になっていくようで充実感はあるかもしれないけれど。でも死にたくはなるけど(笑)


何がいいたいのか良く分からん感じになったけど…いやね、
今私の周りにつらい状況にいる人がいっぱいいて…っていうこれ読んで「自分のことか」と思いそうな人が4、5人いるくらいで。
自分が何に苦しんでるのか見えるのって大事だと思う。
もしかしたらそれは、コミュニティーに飢えてるってことかもしれない。なんてちょっと思ったから。「つながりたい」っていう気持ちかもしれないと。


(mixiより転載)
結局ケイタイではうまくいかないみたいなので、mixiの機能で設定するのはやめました。

で、今度から、なるべく相互転載することにしようと思います。

理由は、
mixi=限られた利用者の間のもの
ブログ=広く外部に開かれたもの
という区別がきかなくなってきた感じなので。

実際それは嘘ではないんだけど、最近ではmixiの日記が、マイミク以外の足あとだけでもブログ閲覧者超えるんじゃないかという感じで。
広くいろんな人に聞いてもらいたい話ならmixiの方がいいんじゃね?と思うけど、そうするとmixi利用者に絞ることになってしまうから。知り合いでmixiやってなくてブログだけ見てくれてる人も、わずかながらいるんだよね。

とりあえず昨日テスト兼ねてブログにアップした分は、あとでmixiに転載します。

で、連動記事の場合、下のように末尾につけておくことにします。

(mixiより転載)

今回はmixiに先に書いた分なのでこの表示で。
逆の場合は、(mixiへ転載)と書いてURLをつけとくつもりです。
mixiと連動してみようと思ったんだけど、そのテストも兼ねて。


最近JOCのメンバーに入ることになりました。
オリンピックじゃありません(笑)
カトリック教会が母体になっている、働く青年の集まり、です。

いわゆる労組やそれに準ずる団体ではなくて、私も含め、全然労働問題の知識とかない人がほとんど。
とにかく集まって自分の仕事や生活について話そう、ちょっと立ち止まって見直してみよう、という目的のグループなんだけど。

でもやっぱり労働について学べば学ぶほど日本の社会はおかしくて、しかも自分や自分の周りの友人たちにとって、本当に当事者となる話で。

最近やっとわかってきたのは、「仕事ができることはそんなに重要なことか」っていうこと。
「能力」ってよく言うけれど、「能力がない人は人にあらず」くらいじゃない?今の社会。
仕事ができない人は、人間としての価値が低い。
まったく、仕事ができないくらいのことで。
しかもその「能力」を量る基準は、職場や上司によって曖昧に変わってくる。
アンタが言うそれってほんとに仕事の能力か?ただの仲良しごっこじゃないのか?って状況はもう山ほどある。

その上、世の中で「誰にでも出来る単純な仕事」と呼ばれている仕事は、多くは生きていけないほどの賃金だったり、雇用が不安定だったりする。
「誰にでも出来る仕事」しかできない人は、生活を守れない。
仕事ができない人間は死ねって言ってるんですか、この世の中は。
たかが仕事ができないくらいで。

何も、共産主義になろうと言うんじゃないけど、「地味な仕事をして食べていけるだけ稼いで、それなりに楽しく生きていく」生き方ってほとんど今の日本に存在しない、許されてないんだって。地味な仕事しかできなければ死ねって。

そりゃみんなが死んでるわけじゃないけど、それはだいたい家族や親類の援助でもってて、それもみんな失った人は野宿者になって凍死したりしてるわけだから。


そうそう、野宿者といえば、ノラの布ナプキンが届きました。(男性諸君いたたまれなかったらすみません。笑)

ノラはホームレスの女性グループで、手縫いの布ナプキンを作って販売してるんです。
http://noratokyo.exblog.jp/
布ナプキン、経済的にも肌にもいいらしいし、ストレスが少ないせいか生理も軽くなるって話を聞いて試してみようかと。
届いてみたら、鳥ナプが超~可愛い!
マトリョナプも頼んだのだけど、注文が多くて現在制作中だそうです。

某公園テント村で「物々交換」のエノアールカフェを開いてる、本物の野宿者でアーティストのいちむらみさこさんが中心になってるみたい。
本気になって野宿で生きていってみようという生き方もある。
きっと実際には危険なことも多いだろうけれど。

しかし、生理が来るのが楽しみだなんて初めて♪(笑)


徒然なる日記を書こうと思ったらすごいマジ語りをしてしまった。

でももう1つだけ。
仕事は社会貢献ってウソだと思った!仕事で社会貢献できる人なんてごく限られてる。
社会貢献って多くの人にとっては、日常生活の中でちょっと視野を広げて行ってくものなんじゃないかな。
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