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もう最初から最後まで7人そろってのライブ。クオリティもどんどん上がってるし、どうも客も増えてるっぽかったし、これから何かが始まる予感ばしばし。

シャッフルユニットも、きゃんち&せぐうぇいの「ふわふわ時間」も悶えるほど可愛く、腐男女ユニットはよきゅちゃん&蓮次、きょも&コジくんと、ダブルで萌え萌えカップル!
そして6/2に誕生日を迎えた浦正くんのソロでは、みんなの声援と青いサイリウムに感動した泣き虫まーくんの涙が可愛かった!

そんな最高のライブだったのですが。
新曲「無敵!夏休み」のカップリング曲の1つ「草食ライオン」という曲は、私のキャパを完全にオーバーして、固まって動けなくなってしまった。
最近の「草食系」「肉食系」というのをライオンのオスになぞらえて歌ったこの曲、今時これはやばいんじゃないかというくらい男性至上主義。「子育てはメスの仕事」っていう歌詞は、まあたしかにライオンだったらそうなんだけど、放送メディアだったら苦情来るレベルじゃないか?

……しかし、これを歌ってるのが、男装の女子。男装というか、男の子キャラを演じている女の子だ(ついでに振り付けはゲイを公言してる前田健だ)。
しかもこの子たちは、自分の好きなものにのめりこみ過ぎて、プロレスのリングに上がってしまったり、レーサーのライセンスを取ってしまったり、超レベルなコスプレ写真集を自分で作ってしまったり、カメレオン飼ってしまったり……
まあとにかく、男が求める女になることよりも、自分のやりたいこと第一、そんなところがこの子たちの最大の魅力なわけだ。

これは無自覚なのか?それとも大胆なアンチテーゼなのか??


前から思っていたんだけれど、プロデュース側の人間たちは、どのくらい自覚的なんだろう?
もともと腐男塾がこれほどの完成度を確立したのも、偶然の産物のようなもので、企画した人たちも最初はこんなことになるとは思ってなかっただろう。
でも、そろそろこれが一体何なのか、考えなきゃならない。
人気・知名度が自明のものになる頃には、必ず「ジェンダー」っていうメスが入ると私は思っている。すでにその辺関心の高い方々から熱い視線はそそがれつつあるようだし、「論」として語られる日も遠くはない。
わかってやってるのか、無自覚なのか、まだ判断はつかない。
「草食ライオン」が7バージョンある初回版には収録されず、通常版の3曲目のカップリングになっていることを考えると、目立たないところで思い切って実験したってこともあるかもしれないけど…

そろそろ私も彼らをジェンダー切りしなきゃいけないかな…?
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デモに行ってきました。

【秋葉原デモ2010.6.6】いきづらいぃぃぃっ!(# ̄З ̄)

デモってこの間のメーデーで初めて参加して、ああ、私はデモ向いてないかもなあ、となんとなく思ってたんですが。
このデモの趣旨はなんだかぐっとくるものがあって。
社会の中で生きづらさを日々感じ、その苦しさの中沈黙し続けた男が、無差別殺傷事件を起こした秋葉原。
このデモを企画した人たちは、「生きづらさ」が暴力につながらない方法を、誰よりも真剣に考えているような気がした。

「社会のせいにするな」「自己責任」といった言葉が世間ではよく使われる。
2年前の事件のときも、「彼は自分の問題を社会のせいにしている」という言い方がされていた。

でも、私は、社会に問題があるのはたしかなんだから、社会のせいにすべきだと思う。
ただ、自分も社会を構成しているということを自覚しなきゃならない。
社会のせいっていうのはつまり、自分のせいでもあるのだ。
社会が変わらないままで、個人がどんだけがんばっても、満足な収入がえられなかったり、生活が保障されなかったりっていう状況はいくらでもある。「お前のがんばりが足りないからだ」「社会のせいにするな」というのは、その場合明らかにおかしい。
でも、社会を変えるのも、1人1人の責任なんだ。

今日のデモのシュプレヒコールはとてもよかった。
「社会は変えられるぞー!」
「表現で社会は変えられるぞー!」
「健康じゃなくても生きさせろー!」
「能力がなくても生きさせろー!」
「ありのままで生きさせろー!」
「家賃が高すぎるぞー!」
「就活反対!」
「まともな仕事をよこせー!」

覚えてるのはこんな感じかな?

途中でマイクを取った参加者の男性が叫んだ
「自由に泣かせろ」「自由に怒らせろ」「自由に笑わせろ」「自由に叫ばせろ」
というコールもほんとに感動させられました。

私も途中でマイクをとらせてもらって、
「才能がないからってつまらない人生なんて言わせないぞー!」
「恋愛してないからってつまらない人生なんて言わせないぞー!」
と2発やりましたw
まわりのみなさんも「言わせないぞーっ」と反応してくれてうれしかった。
あとから見るとあんまりデモらしくない言葉かもしれないけど、アキバをうろついている通りすがりの少年や、青年や、中年たちに、あともう一歩近づける、つながりを持てる言葉ってなんだろうと考えて。
私自身は、これは社会全体の「生きづらさ」の問題に直結してると思ってるんだけど。


しかし、やっぱり日曜日のアキバの街って、もともとメイドさんがあちこちでビラを配り、コスプレイヤーが闊歩する場所。面白いものを求めて遊びに来ている人たちが集まってる街だと実感した。
新宿のデモのときは、ただ迷惑そうに「自分には関係ない」と目を逸らす人が多いように感じたけれど、アキバでは、ちょっと奇妙なデモ隊に道行く人々も興味津々。
なにしろ最初の集合の時点ではデモ隊より警官より、ギャラリーの方が多いみたいだった。
わりに笑いながら見てる人が多かった気がする。箸が転んでも笑う女子高生たちは爆笑。なんかテンションが上がったらしきおじさんは「がんばれ!」と大声で応援。「もえもえきゅん」をやってるメイドさんは手を振ってくれました。
みてるひとたち「バカがなんかやってる」と思ってるのか、「なんか面白いじゃん」と思ってるのかは定かではないけれど、日常の中に何か面白いことが起こらないかと思ってる人たちの気持ちをくすぐったことは確かで、それだけでも意味はあると思う。

ただ、やっぱりそこから何かつながっていきたいな。
「なんか変なことやってて面白かった」で終わっちゃもったいない。そう思ってくれる時点で、つながれるポイントがきっとあると、今日沿道の人たちを見ていて実感したから。


今日は私が声をかけた友達も2人来てくれて、うち1人は「デモに加わるのはちょっと」と、沿道からずっと応援してくれました。
デモってやっぱりちょっと勇気入るし、途中「どういうデモですか」って声かけてくれた人も、「じゃあ横から応援します」って言ってくれてたり、中に入るのにハードル高い部分はあると思う。
私はあんまりそのへん無頓着なので、「ためしに」くらいで来ちゃったんだけどw
今回はそういう人のためにネットから参加するって企画もやったみたいですね。


私も、勇気がなくても、何かの能力がなくても、なんらかの形で1人1人がクリエイティブに参加できる表現活動を探してみたいなあ。考え中です。
ちょっと固まってきました。
次回の、悪ふざけがすぎましたの本は、「アンチエロス」をテーマに、私が企画したいなあ、と考えております。

実際、世の中にはさまざまな形のアンチエロスが溢れていると思う。
東京都青少年健全育成条例改正問題(非実在青少年問題)がこれだけ物議をかもすように、エロスは暴力的側面とともに有害なものにもなりえる。しかし、反対の声の大きさからもわかるように、表現の中でかかせないものであるほど、芸術的な魅力を持ち、人間を描く、生命を描くということとエロスは切り離せない。
その魅力ゆえに、子どもの目に触れることを危険視する大人も多いのだと思う。

それも1つのアンチエロス。

しかし、性的魅力は、コンプレックスとなって私たちに襲い掛かっている現状もあるのでは。
誰もが優れたセックスアピールができるわけではないし、それを第一に考えて生きるのはけっこう苦しい。
「モテる」こと、つまり「優れたエロスを持ちえること」を第一に生きている人たちもいる。でも、それ以外の人たちの多くは「どうせ自分はモテないから」と言い訳しながら生きている気がする。
女性として男性として、魅力的でありたいと思っている人も、魅力的な性を目指すことを本気でやめたいと思っている人も、どちらも「自分はモテませんから」という言い訳を使わないと、世間の中でバランスが取れない。

これも1つのアンチエロス。


大人になりたくない、セクハラされたくない、性別に支配されたくない。
エロスはどうしてこんなにも、人を傷つけやすい素材なんだろう。


テーマは「アンチエロス」だけど、それぞれのスタンスは自由にしたい。
作者自身アンチエロスの立場から描いてもいいし、アンチエロスからエロスに目覚める(!?)人物を描いてもいいし、もっと俯瞰して見ることもできるかもしれない。


あ、でも今思ったけど、これ「アンチエロス」っていうより「アンチセックス」かな??
どっちがいいだろ~?



ところで少女革命ウテナも「アンチエロス」だと私は思ってます。
セックスしたら女は人格とか信頼関係とか全部変わるみたいな「セックス神話」を、「馬鹿いうな」って感じに否定してる気がして、これはすげー!と思いました。
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