9/19、札幌で開催されたカトリック正義と平和協議会全国集会に、私が参加しているJOC(カトリック青年労働者連盟)が発題する分科会が開かれるということで、東京JOCのみんなと札幌へ旅して、参加してきました。
札幌、大阪、広島のJOCメンバーとも再会したりはじめましてしたり、一緒に寝泊りして夜はバーベキューしたりと、働く若者たちでわいわいと、かなり楽しんでまいりました。

JOCがやったのはコチラの第9分科会
http://www.csd.or.jp/gyoji/seiheiannaisho2010.pdf
「若者のディーセント・ワーク―人間らしい働き方―」
講師は北海学園大学准教授で、反貧困ネット北海道副代表の川村雅則さん。

最初に全国のJOCから4人の青年が自分や周りの人たちの労働状況について話して、その後川村さんが、それぞれが語った内容を引き継ぎ、講演。
いろんな働く状況、働けない状況の資料が配られたり、それぞれの問題に、川村さんは的確に背景にある構造を指摘してくれて、とてもわかりやすい。

NHKの「フリーター漂流」の映像を資料として見る場面もあった。日雇いで「誰でもできる仕事」と自分の仕事を卑下しながら雇用の調整弁としてあちこちに漂流するように働く人たちの姿を映した番組だった。

そういう中で、あいだに数人のグループに分かれてのディスカッションを挟む。
私が話し合ったグループは、20~30代くらいの男女4人、50~70代男性が2人。
この2人の男性たちと、思わず対立してしまった場面があった。
私が1人がっと食いついてしまい、20~30代のメンバーはやんわりと私の方の擁護に回る人たちと黙って見守る人、という、何となくだけど、世代間対立の形になりかけた雰囲気があった。

ディスカッションは3回あり、お題は
1.若者の働く実態を知ろう
2.その背景を考えよう
3.どうすればよいのか、知恵を出し合おう
というもの。

その2人の男性たちからも、最初の2回の時は、「“自己責任”といって人を人として扱わないのは経営者側の言い訳だ」とか、「日本経済の傾きが、一番弱い立場の人々を最も苦しめているのはおかしい」という発言があったんだけれど。

最後の3回めのディスカッションの時、1人の中高年男性が「仕事をまずがんばって、仕事ができることで会社の中で発言力をつけるのが大事だ」と言い始め、もう1人も「まさにその通り」と。「自分たちはそうしてやってきた」という。

時間がなかったのもあって、2人めの話の時、思わずカットインしてしまった。
「さっきのフリーター漂流、実はとても社会貢献度の高い工場労働なのに、『誰にもできる仕事』だと企業や社会から貶められているあの人たちが、ひたすらあの仕事を頑張ってやって、それで発言力をつけることが可能だと思うんですか」って。
もうそのロジック通じないって現状がいくらでもあるし、仕事ができる=発言できるという構図じたいに問題があるという気持ちが、私の中に強くあった。

答えは、胸を張って「可能ですよ」、だった。

日本には、一人前と認められるようになって初めてものが言える、という考え方が強いように思う。
しかし、「一人前と認められる」基準は非常にあいまいだ。仕事そのものの能力が低くなくても、職場の「空気に溶け込めない」、「浮いてる」という人たちが、職場での評価が低くなったりする。
もちろん、実行が伴ってる方が説得力が増すっていうのはわかるんだけど、どんなに怠けてようが、未成年だろうが、「ものを言う権利」は誰にだってあるという大前提としての認識がとても薄いと思う。
本当は、仕事ができてもできなくても、がんばっててもがんばってなくても、元々の権利として、誰だって発言できるわけで。

この認識を広めること、これから社会を担うことになる人たちに教育していくことが大事なんじゃないかと思うんだけど、そのことをあの場で説明しきれなかったのが悔やまれる。

もっと言うと、「ものを言う権利」どころか「生きる権利」すら理不尽に奪われている実態を、この会の中でいくつもの例によって見てきたわけで。
そういうところに「仕事をがんばって発言力をつけよう」という言葉は、ものすごく距離を感じてしまう。
実際に、資料としてだけでなく、その場で発表した青年たちの状況だって、とてもその方法が有効だとは思えないものがたくさんあった。労働者の人権がないものとされ、職場が「無法地帯化」し「無権利状態」になっている(川村さんの言葉による)。
私の周りでも、職場で人間としての価値すら貶められるような言葉、ハラスメントを受けているという話が本当にいくつもある。

もっと社会の認識じたいが変わらなきゃいけないんじゃないか、ということを言うと、
「あまりに大きな理想だと実現が難しい、明日からやれることを考えるべき」とも言われたんだけど、
「仕事をがんばって発言力を増す」ことが、今の社会で、明日からやれる現実的な対策なのか。
そして、戦略を考えるために目標の方向をずらしては、本末転倒じゃないかって。

しかし、時間が足りなくて最後まで議論できずに終了。
まとめてくれたディスカッションのリーダー役の青年に感謝、と思いつつ、くやしかったです。


しかし、当事者性っていうことを重く感じた。
こういうつまづきは、どちらかが当事者でないということより、別々の当事者性がぶつかってしまうというところかもしれない。彼らが、彼ら自身、職場で戦った頃の当事者であったからこそのすれ違いというか。

しかし、年齢にかかわらず、すでに退職していたとしても、誰だって今の時代の当事者であるわけだ。
彼らにも、今現在生きる者として、きっと何か、同じつながりの中の問題がのしかかっているはずじゃないだろうか。


実際世代が違っても、問題を共有できる人たちはいて、そういう人たちをすごく貴重に思う機会ともなった。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://sanpoapril.blog104.fc2.com/tb.php/136-779bbac1