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「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」
「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」
・・・石原都知事のこれらの発言に対して抗議するイベントが、1月14日、東京・中野で行われたので、行ってきました。

タイトルは、「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」。



イベント終了後、いろいろと問題点も指摘されましたが、イベントを開催できたこと自体はかなり意義のあることだったと思います。

ただ、思ったより突っ込んだ話にならなかったなあ、というのが正直な感想です。


とりあえず、私にとっては、意外とみんな、それぞれに孤立していたんだ、ということが見えたのは大きかった。
私はセクシュアル・マイノリティではあるけれどLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)には正確には当てはまらないので仲間を見つけにくい、と自分で思っている。
どこか「活動をしている人」というのを、遠く感じてしまう部分があったのだけれど、「活動をしている人」も、仲間を募って行動することはまだ難しい現状で、なんとか頑張ってきて、今日集まれたんだなあ、ということがわかって。

あと、世田谷区議会議員の上川あやさんのお話によって、クローズドな当事者の多さも実感できた。上川さんはゲストではなく来場者として来ていて。途中、今回来場した議員3名が呼ばれて壇上で話す場面があった。
でも上川さんの話がイベント中最も心に残った人は多かったみたい。
上川さんが世田谷区議になってから、「自分もマイノリティです」とこっそり相談してくる区役所の職員がたくさんいるという。
ある会議の時には「今日の会議に4人LGBTがいた」とツイッターで発言したこともあるとか。

私の個人的な知り合いにもLGBTがけっこういるんだけれど、それはいわゆる「類友」というやつなのかと思っていた。
でもよく考えたら、同じ学校などで、偶然知り合った人たちだ。
単に私に対してオープンにした人がけっこういた、というだけで、どんな集団にも隠して過ごしているマイノリティが同じくらいいるのかもしれない。
さらに、明確なLGBTのような言葉がついていなくても、自分の性自認や性愛のあり方が世間で当然とされているものに当てはまらない、と感じている人はもっと多いんじゃないか?と思う。


さて、「思ったより突っ込んだ話にならなかった」というのは、何かと言うと。

全体を通して、主張する内容が、「LGBTも普通の人間です」「ゲイ・レズビアンカップルも普通のカップルです」ということで終ってしまった印象だったこと。
おそらく、あの会場に来ている人は、そのことはすでにわかって来ている人が多かったんじゃないかな、と。

で、肝心の「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」というテーマに関しては、すごく当事者目線の、「こんな発言ありえない」「怒っている」といった気持ちを伝えるにとどまり、この発言が例えば人権という観点ではどうなのか、とか、マイノリティの生活において具体的にどういった打撃を与えていくおそれがあるのか、という非当事者に伝わりやすい話にまではならなかったなあ、という。


あと、この会の中でもいくつか、差別的・排他的発言や雰囲気があったという指摘もある。

まあ私は、パネルディスカッションの中でそういう考えの人がいるのは、ある程度仕方ないかな、と思います。それこそ差別意識の一切ない「正しい」同性愛者だけでイベントをやろうなんていうのは無理だと思うし。

もちろん気になった発言もありました。

レズビアンだけれど、「襟を正して」生活している、きちんと納税している、というのは、本人たちはそれだけ認められるように努力しているからそう言いたくもなるのだろうけれど、それができる環境自体恵まれているともいえる。
たとえば野宿生活者の中にも、いま本当にたくさんの人が生活に困窮し野宿になっている現状で、割合として考えればセクシュアル・マイノリティがいないわけがない。
また、障害や病気を持つセクシュアル・マイノリティもたくさんいるだろう。障害者年金を受給したり、生活保護を受けている人もいるかもしれない。そういう人たちの自己否定につながる発言ではないかと思う。

ただ、これはパネルディスカッションの中では、「生の声」の1つとしてあっても良いかとも思った。

問題は、3月に開催予定の抗議デモについて、おそらく主催の1人として最後に話された、ますはらひろこさんが、デモでは「納税者であるということを訴えたい」と言ったことの方が大きい。
そういう主旨のデモならば、私は(税金は今のところ納められる状況にあるので納めているけれど)、ちょっと参加できない。

デモの主旨については、ぜひもう一度深く話し合って、考え直してほしい。


他にも気になったのは、何人かから、石原氏の発言について「あの年代の男性の普通の意見だろう」という声があったこと。
正直私からすれば、「生ぬるいことを、“世間一般の普通の意見”だろう」、と。

いや、「同性愛者」という言葉に対してあそこまで言う人は最近では少なくなってきたかもしれない。
でも私自身に対しては、「どこか足りない」「気の毒」という類の目線は、ごく親しい友人からもぶつけられる。
面と向かって「理解できない、不自然じゃないか」言って議論してくれる人はずっと良くて、理解したようにうなづきながら、「幸せになってね」とか泣かれたりしてしまう。

いや、「幸せになってくれればそれでいい」など言って泣かれるのは、LGBTの人たちだって、きっとかなり経験してるはずだ。
それこそまさに「どこか足りない」「気の毒」っていう目線じゃないのか。

今のこの現状でわざわざ「あの年代の中年男性」に限って偏見が多いように言うのには疑問を感じる。
どうせどの年代もそんなに劇的に理解度なんて変わんないだろうし、「中年男性」に偏見を持っていると協力の手を減らすことになるよ、と。

あと、多くの人が言ってた「イシハラスメント菌」のパフォーマンスについてだけど、あれは私、「石原氏の言動によってハラスメントの雰囲気が世間に蔓延する」という意味であって、石原都知事個人を「菌扱い」したわけではないと思ったので、正直言うとそんなに気にはならなかった。
ただ、「菌」なのに風船で表現するのはピンとこなかったし、会場の人たちにトスさせる形になるのに「触ると感染する」だったり、最終的に風船を割って終ったり、ちょっとパフォーマンスとして練られていないというか、意味不明だったけど。


最後に、一番気になったこと。

今回のイベントには手話通訳がついて、3名で交代したり、会話の場合は人を決めて分担しながらやっていた。それ自体は「あ、ちゃんとそういう配慮もあるんだな」と思ったんだけれど。

通訳の方たちは、男性に見える2人と、女性に見える1人。
そして、見た目が男性の人が話すときは男性(に見える人)の手話、見た目が女性の人が話すときは女性(に見える人)の手話という分担にしていたこと。
わかりやすくするためではあると思うけれど…また、突発的なこのイベントで、手話通訳の方々にまでそういった理解を徹底することは難しかったとは思う。けれど、様々なセクシャリティの人が会場にもたくさん集まっているだろうあの場所で、壇上でああいう表現が行われてしまったことは、ちょっと、とても残念だった。


しかし、今回このイベントで、セクシャリティの話っていうのがどれだけ多様な人たちを意識しなければならなくて、つながりを広げるほどに、それぞれの偏見に向き合わなければならないものかが見えたのは、前進だったかもしれない。
まずはきっかけとして、始めたことの意味は大きいと思う。
これからに期待して、機会があれば私も手伝えることには参加していきたいと思っています。


関連記事:
ゲイのための総合情報サイト g-lad xx(グラァド) | 石原発言のおかげで生まれた新しい「つながり」とパワー
http://gladxx.jp/column/48/1083.html
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