上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
先日の日記で「ひらり、」最新号に掲載されている紺野キタの『少年』という作品の素晴らしさについて語ってたんですが、もうちょっと「少年」ということにフォーカスして語りたいなあ、と

というのはやっぱり、少女が少女に恋をした時に、その気持ちを「自分の中に生まれた少年のもの」だと考える、そこに異性愛規範の内包があることは、否めないんですよね。

私は、規範を内包してしまうことは、多くの場合は本人の責任はかなり少ないのでは、と思っています。
それは間違っている、とは思うけれど、間違ったことを言う人がみんなダメだとは思わないっていうか。
環境要因ならば、新たな世界が開けることによって変わってくこともあるんじゃないかと。自分自身そうやって変わりながら生きてきたのですし。

だから、規範を内包しつつも自分の中に生まれた思いを守るために「少年」を作り出した彼女が、狭い世界の中で生きる方法を見つけようと頑張っているようで、なんだかとても愛おしかった。

と、同時に、人間が長い時間をかけて作ってきた文化の中で、「少年」という言葉は単なる年齢・性別の表現ではなく、ある象徴的なイメージを持っているのではないか…と思ったり。
それは共通イメージでありながら、一人一人の中で少しずつ違っているイメージでもある…
「神」と聞いて人々が思い浮かべるイメージのように、「少年」のイメージというものがある。

だからきっと、彼女の「少年」は、単に「男子」ではないのでしょう。彼女の中で、その時生まれたものに名前をつけるなら「少年」という言葉のイメージが一番当てはまっていたのだろう、と。

作品中でも、MtFのパパママが、私の中にもまだ少年がいるわよ、と言う。
誰もが心に「少年」を持っている。
そう考えるとすれば、「少年」は性別を超えるアイコンのようなものになっていくのかも。

「少年」のイメージそのものも、やはり性別規範が作り出した部分はかなりあるだろうけれど、こういうねじれ・ずれの表現によって逆に性別を飛び越える力になってしまうって、かなり楽しい、柔らかい優しいことだな、と思うのです。

私の中にもきっといる、駆け抜ける永遠の少年に、思いを馳せます。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://sanpoapril.blog104.fc2.com/tb.php/199-256f6611
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。