アメリカ人の父と日本人の母の元に生まれ、戦中は日米両国でスパイの嫌疑をかけられ、強制収容所にも入れられた経歴を持つヘンリ・ミトワ氏。戦後は日本文化に傾倒し、禅僧として生きることとなる。
その人生じたいも波乱に満ちているが、カメラを回すうちに、彼自身の強烈な個性、彼の家族たちの個性がぶつかり合い、その火花が監督自身にも飛び火し、生臭い人間ドラマへと展開していく。
…そして、骨になるまで。
ドキュメンタリーとして撮影された映像の他に、アニメーション、再現ドラマなど、ミトワ氏の人生そのもののように幾多の要素が複雑に入り乱れる、エネルギー迸るスリリングなドキュメンタリー映画。

アニメーションパートである『ヘンリの赤い靴』は、「フィクションがフィクションであるからこそできる技」を使った作品で、これがノンフィクションのドキュメンタリーの中に組み込まれているというのが面白い。
現実では叶えられなかった夢をフィクションの中では叶えられるという、「架空の物語」だけが持つ力を、ドキュメンタリー監督である中村監督が表現しているというのも興味深い。

現実と、叶えられなかった架空の夢の世界、その2つをつなぐのが、史実をもとにしたノンフィクションのドラマパートかもしれない。
実在の人物の過去を、役者たちが演じるその風景は、現実の過去と似ているかもしれないし、だいぶ違うかもしれない。「あったかもしれない過去」の幻影を映すドラマは、ヘンリが「未来よりも過去に夢がある」と語り家系図を描く姿と重なる。

さらにカメラはヘンリを演じるウエンツ瑛士の、役としてではない彼自身の姿も一瞬映し出す。それによって、最後に登場する「彼」は、ウエンツなのかヘンリなのか、わからなくなる。
過去の幻影は現代の一人の青年に乗り移り、夢と現実、実際にあったこと・あったかもしれなかったこと、その境界線の曖昧な狭間に観客は立たされる。

ありのままの現実を映すのがドキュメンタリーだと、批判する声もある。しかし、中村監督という人は「ありのままの現実」の不確かさにこそ捕らわれ、翻弄され、カメラを回し続けている人なんじゃないかという気がする。
対象となる人物の思いの世界、イマジネーションの世界、語る言葉の嘘と真実、その狭間で時折、現実と虚構が揺らぐ。
観終わった後にも、映し出された人物たちの言葉、姿、「何が本当だったんだろう?」と思わされる。そのスリリングさが、この映画のとてつもない面白さであり、対象への愛の表れのようにも思う。
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