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もう先月のことになってしまいますが、「フリーターズフリー」という団体で活動し、「女性と貧困ネットワーク」の呼びかけ人にもなっている、栗田隆子さんという方の講演を聞きにいかせてもらいました。

これはカトリック主催のイベントで(栗田さん自身もカトリック信者)、それゆえにタイトルは『信仰・労働そして社会』となっていたんですが。
これが、現在私自身が感じている、また私の同年代の友達の間でも常に感じる、労働に関する疑問とか、不安とか、いきどおりみたいなものを、ぴたりと捉えてくれていたんですよね。
ああ、やっぱり動いてる人は違うんだな、すごいな、と思ったけれど。


で、記録を取らせてもらってたんで、仕事のうえでは必要なかったんだけどほぼ全文書き起こしてみちゃったりして、文にしてみると、やっぱりかなり面白い。
これ、ちょっと私の友達の間とかで気になる人に読ませてみようかな、などと思っていたり。


まあそれで全文をここに載せちゃうのはさすがにまずいんだろうけれど、ちょっと「これは」というところを紹介させてもらいます。

***

安定した生活、自分の中のこうありたいと思う生活を歩むこと、そこで拠り所を見出すっていうことは普通の人がしている、普通にやっていることだと思う。
だけどむしろ、聖書においては不安定な生活を神は求めているようなところが多々ある。安定した生活、自分がこうあってほしいと思うものではないところに、常に呼ばれる。

本当に不安定であるということがそんなに、―不便であるが、悪いことなんだろうかと思ったことがあります。

私たちはともすれば「不便」なことを「悪」だと思い、「便利」なことを「善」だと思って、勘違いして生きているところがあるんじゃないか。
だからこそ、「フリーターは甘ったれている」だとか「自己責任だから仕方ないだろう」とか。
「自己責任」って言いたいのは、そういう生活を「悪」だと人々が思っているからなんじゃないか。貧しくて不便な生活を「悪」だと思ってる。そこは切り分けた方がいいんじゃないか。



私にとって労働というものが、怖いものだったんです。
使い捨てにされるか、正社員であっても過労死するまで働かされるか。そういう極端なイメージを労働というものに持っているところがあって。

労働が怖いという恐怖感が、わかるっていう人が、私ぐらいの世代にとても多かった。個々人の感情のレベルのように思えて、実は社会構造的な問題。

やっぱり、人の目も怖いし、働く場所、人間関係も、本当に些末なことで悩まされているけれど、フタを開けるとみんなそういう些末なことで悩まされている。そういう狭い世界で生きさせられている。電車で人身事故が週に三回くらいはあって、そういうときの人々の冷たい感じを見るだけでも、かなり生きていきたくない。自殺してなおこの視線で見られると思うと、なんかもうたまんない。
労働が怖いっていうかこの社会が怖いし、生きている人間が怖い。今の社会がどんな社会になってるか、私は自分の感情を通してちゃんと伝えなきゃいけないと思った。
同じような悩みを抱えてる人がいっぱいいて、それを無かったことにして、会社や家族の中で悩みや苦しみを伝えないで生きている。

***


前半の部分は、わたしは「そう、それだよ!」と叫びたくなったようなところで。

講演の後のほうでまた別のかたちでも栗田さんは言っているんですが、生活が不安定だったり、病気や何かで弱ったり、そういう「弱者」になる状況を、この社会は「悪」としていて、それは「必然」であることを認めていないと。

人間ってものは病気にもなるし、老いるし、妊娠中や子育てしているときは働いてお金を稼げなくなるし、働きづめなら体や心が弱る。
それは誰にでもありえることなのに、まるで恒常的な「強者」と「弱者」に社会が分断されているようなこの雰囲気というか。「勝ち組」「負け組」とかね?それが変動的なものだっていう認識がないから、こんな変なことになってんだなあ、と。
将来のことを考えて安定を目指すのも大事だけど、人生が人それぞれなように、生活の成り立たせ方だって人それぞれで、何がだめとかって、社会が決めるものかなあ、と確かに思うし。


で、後半は、私にとってはけっこう衝撃的でした。
こういう「活動家」みたいな人で、人の前で発言する人で、こんなネガティブな気持ちを言っちゃっていいんだ、肯定しちゃっていいんだ!って。
「生きていきたくない」、
と思った気持ちをはっきり言っちゃえる。
でも、それを言っていくことこそ彼女が大事だと思ってることなんだ、とわかって。

前々からね、思ってたんですよ。
人間って、労働でも心労でも、許容範囲を越えるとおかしくなるものなんだ。個人の弱さとかじゃなくて、人間ってものがそういうふうに、休まなきゃいけないように出来てるんだ。でも、日本の今の社会は十分な休息を取ることをほとんど許さない社会だなって。

だから、個人の弱さのせいにしちゃいけないんだ、これ本格的に。
何かおかしい、私の周りの人が責められなきゃいけないのはおかしい、っていう実感がたしかにあるもの。
たとえば「仕事がつらい」って言っても、言いながらもがんばって割り切って働いている人に対して、「つらいというのは甘えだ」とかいう雰囲気があるじゃない。なんなんだろうこれ。

なんかねえ、どうにかしなきゃいけない、はっきりさせなきゃいけないって、思い知らされた気がした講演でした。
とりあえず、プリントアウトして個人的な友人たちに配ってみるかな。

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